今回の「理由」の上映は、かなり期待を持って出かけました。
最初に、まず大林監督が「理由」を撮るという話を聞いたときに、「コレは何か、やってくれそうだ。」という印象が第一。
そして、大急ぎで、600ページを超える原作を、私としては驚異的なスピードで読み通したあとの印象は、「コレは本当に映画化できるのだろうか?大成功か、大失敗のどちらかしかないのでは?」と思った、期待と不安がその次。
しかし尾道の「山陽日日新聞」に連載されている監督のエッセイからは、「理由」にかける並々ならぬ意気込みが伝わってきたので、不安は大きな期待に、次第に変わってきました。
実際、4月にWOWWOWでテレビドラマとして放送されたときの評価は、上々なものだったので、より期待は高いものになりました。
そして、実際に見た「理由」は、期待に違わぬ物でした。
何と言っても、原作の雰囲気を壊していない。実際あの小説は、複数の家族のホームドラマ数本分を、1つの大河小説に取り込んだような形になっています。映画化を考えるならば、普通、その1組の家族にスポットを当てようとしそうなものですが、今回は、あえてその方法を採っていません。
映画はいくつかの”章”立てになっていますが、その章立ても、小説とほとんど同じです。しかし、原作のダイジェスト版というわけでもなく、逆に原作の方が、映画の詳細なノヴェライゼーションのような印象を受けます。
そして、小説は終始ルポルタージュ形式で書き進められていますが、映画の方も、ほとんどその形式を踏襲しています。最後に、その小説化・映画化そのものをもルポしてしまうという、ちょっと”やりすぎ”のような一面もありますが、そこまで行けば”ご立派”というべきでしょう。
台詞は、ほとんど関係者の証言の形で書かれています。余計な人物描写や会話がほとんど省略されているので、まるでワイドショーのインタビューの連続といった印象です。これが、あの膨大な原作を、2時間40分に縮めるマジックの”タネ”だったと、後でわかります。唯一、片方の当事者となる「宝井家」のシーンだけが、通常の映画の手法で描かれています。この綾子の証言は、最後まで姉弟の間で秘密とされるわけですから。原作を読んでいない人で、映画を見ながら「アレ?」と思われた人は、かなりカンのよい人です。
台詞のある役だけでも、107人もの配役。この配役の妙が、「理由」の最大の特徴です。どの役もハマリ役ばかりで、出番の少ない人も、その少ない出番に対して渾身の演技をぶつけてきています。まるで、一人芝居の連続を見ているかのような印象でした。この迫力とスピードで、あっという間の2時間40分でした。
映像の中で切り取られている、東京の風景については、別の記事で・・・
しかし、ラストシーンは、ちょっといただけませんねぇ。例の高層マンションに「八代祐司」の幽霊が現れ、街に向かって落下するというCG。そこまでリアリズムで貫いてきた映画が、いきなりファンタジーに変わってしまいます。(何か、「時をかける少女」を見るような・・・)CGそのものも、イマイチだし。
考えてみれば、あの”事件”の”真犯人”は、その八代祐司であるわけだし、彼のそれまでの”人生”については、あまり描かれていません。あのまま終わってしまったら、彼以外の登場人物の膨大な”人生”に押し流されて、八代祐司自体が忘れ去られてしまうかもしれません。(現実に起きる、さまざまな凶悪事件の当事者のように・・・)そこで監督は、彼を最後に印象付けようとしたのかもしれません。
しかしそれなら、原作でも最後に彼に言及していますし、映画のラスト近くでも、その文章をそのまま引用しています。「八代祐司のような、得体の知れない人間が、現実の世界にも現れ始めている。」ということを、監督は言おうとしているのかもしれませんが。別の表現方法もあったのではと、思ってしまいます。
エンドロールに流れていた歌も、何か悪趣味な感じがしました。
もうちょっと、粋で、それでいて、日常の中に潜む”怖さ”のようなものを暗示するようなエンディングの方が良かったのではないかと、思えてしかたがありません。
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