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キリンの洗面台

kirin

これは、以前発見したおもしろ物件を、記憶を頼りに描いたものです。

空き地に面した家の外壁の2階部分に、洗面台の跡が残っていました。
おそらく、二階家の半分だけを取り壊した際、その境界となった壁面に洗面台がくっついていて、それを剥がした後だと思われますが、普通あるはずの床も無く、空き地に面した2階の壁面の高い所に洗面台がくっついていたというのが、何ともとぼけた味を出していました。
それを私は、「キリンの洗面台」と命名しました。

次回にカメラを持って同じ場所を訪れたときには、もう、この「キリンの洗面台」は、二階家ごと無くなっていました。
”トマソン”は、消えていくもの。記録が大事ですねぇ。

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「暁」の扉

Akatsuki

尾道のカクテルバー「暁」は、その内装も、凝った外壁も、一見の価値があります。
開店前の昼間に前を通りかかったら、ドアのガラスに、こんな絵が描いてありました。

このはげ具合といい、なかなかの風格ですね。(^^)

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ウリの機能

愛・地球博(愛知万博)では、インターネットからパビリオンやイベントを予約することができるそうです。
入場予定日の1ヶ月前から、予約をすることができます。
しかしそれには、入場券に記載されている、個別の番号が必要。ということは、前売り券が必要。
これ、前売り券の、相当なウリの機能になるはずなのですが、ほとんど知られていませんねぇ。(^^;

当日予約でも、1件までは可能だとか。コレを知っているのといないとでは、かなりの違いになりそうです。

しかし、説明が、わかりにくい・・・ (((^_^;)

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党首の主張

Fun尾道で見つけた、某政党のポスター。

党首の写真が大きく印刷されていて、その上に「わが党はこうします!」式の公約の一覧が印刷されていました。
そして、その余白に、写真のような文字が大きく書き付けてありました。

「このタイヤ 捨てた奴 始末せよ」。

まるで、党首がこう主張しているみたいで、迫力がありました。 (((^_^;)

その結果かどうか、問題のタイヤは、すでに除去されていました。 (^◇^;;

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名古屋の隠れた自慢

今日の名古屋は、とても良い天気で、遠くのほうまで見渡すことができました。

実は、あまり知られてはいませんが、名古屋は山岳眺望のすばらしさが、自慢の一つです。
今日は、東海道本線の「大高」駅付近の高架線の上から、御嶽山・恵那山・中央アルプスをきれいに見ることができました。ずっと右(すなわち南東)方面にも、雪山が一瞬見えたので、それは南アルプスだったのかもしれません。

あいにくと、今日はカメラを持っていなかったので、写真でお伝えできないのが残念でした。(^^ゞ
もし、写真を持っていたら、「セントラルタワーズ」の展望台からの、山岳眺望の写真を撮っていたのに・・・

あそこからなら、御岳・中央アルプス・南アルプスはもとより、西には御在所、北西には伊吹、真北には白山も望むことができます。条件が良ければ、御岳の左側には乗鞍も見えます。人によっては、奥穂高も見えるという人もいます。

特に夕方がすばらしいです。夕日を受けて、雪山がばら色に輝きます。大都市から、”アルプスの夕映え”を見ることができるのが、ほとんど気がついている人がいないかもしれませんが、名古屋の自慢の一つです。

でも、これだけ沢山、山が見えていても、名古屋からは富士山を見ることはできないのですねぇ。(^^;

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冷たい話題

寒い冬に、つめたーい話題と行きましょう。 (^◇^;;
話題は、カキ氷の作り方です。

カキ氷の作り方といえば、グラスにまず氷をかいて、その上からシロップをかけるものと、ずっと思ってきました。
名古屋でもそうでしたし、出身地の長野県でもそうでした。

ところが、どうも東京では違うらしい・・・。最初にグラスにシロップを入れておいて、上から氷をかくという、まったく逆の手順だということを、かなり後で知りました。山梨でも、どうやら東京と同じ作り方らしいです。

単純に、氷の上からシロップをかける作り方を「関西式」。シロップの上から氷をかける作り方を「関東式」というのなら。カキ氷について、関東と関西の境界線は、長野県と山梨県の県境という事になります。

実際のところ、どうなのでしょうか?

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エスカレーターの歩き登りで

エスカレーターを歩いて登ろうとして一番困るのは、
ステップの真ん中に一人で立っている人。 (((^_^;)

追い越そうにも、追い越せません。(((^_^;)

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天然のだまし絵

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光の悪戯が描き出した、贋の窓。
向かい側のビルの窓ガラスの反射が、工事用のネットに、贋の窓を描き出していました。

撮影地:東京都千代田区丸の内

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「ハウルの動く城」の隠しテーマ

鎌倉を歩きながら、先日見たアニメ「ハウルの動く城」のテーマは、何だったのだろう?と考えていました。
誰が見ても、アレはラブストーリーだし、反戦的な表現も、強く印象付けられるし・・・。

ふと思ったのは、ヒロインのソフィーが、おばあちゃんになってから、俄然元気になったこと。それまでは、引っ込み思案で、自信のなさそうな女の子だったのに、年をとったとたんに、賢く、時にずうずうしく、活動的になっていく・・・。
ひょっとして、ともすれば否定的に捉えられている「老いる」ことの肯定が、隠しテーマなのでは?と思いはじめました。
「90歳のおばあちゃんでも、恋をすることが出来る、何をするにも年齢なんて関係ない。」というのが、宮崎監督のメッセージなのでは?と思い始めました。そういえばハウル自身、ソフィーの見た目の年齢は、気にしていないみたいだし。

原作も読んでみましたが、ハウルは空間だけではなく、時間も自由に行ったり来たりできる魔法使いとして描かれています。イギリス版「ドラえもん」ですね。現代のイギリスに、主人公たちが登場する章など、笑ってしまいます。

ところで原作には、どきりとするような台詞があります。すなわち「荒地の魔女があんた(ソフィー)を、おばあさんにしたのは、あんたを早く死なせるため。云々」
この部分は、アニメではカットされています。

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”勇気”が必要な自販機

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この自販機でジュースを買って、飲むには、かなりの”勇気”が必要です。
そもそも、100円を入れるのにも、勇気が要りそうですねぇ。 (((^_^;)

撮影地、尾道。

ちなみにσ(^_^)は、”臆病者”のそしりを、甘んじて受けます。 (^_^;)★\ バキ

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大名古屋ビルヂィング

名古屋駅のまん前に、衝立のようにそびえているビルが、「大名古屋ビルディング」です。
竣工以来、名古屋駅前の”顔”とも行ってよい、建物でしょう。
しかし、このビルが、名古屋の”ヘン”な物の一つのように言われています。 (^_^;)★\ バキ

一つは「大名古屋」という、文字通り”大時代的”な名称。もう一つが「ビルヂィング」という、これまた古めかしい表記です。
それが、駅に向かって、でかでかと”宣言”しているので、余計に可笑しさを感じさせるというわけです。 (^^;

ただ、この”ビルヂィング”という表記、特におかしくは無いとは思いますが。
たしか「丸ビル」も、正式名称は「丸の内ビルヂィング」だったはずです。(リニューアルした今はどうかな?)
このビルの完成当時は、”ビルヂィング”が普通の表記だったのかもしれません。それとも、丸ビルにあわせたのか。

昔の小説などを読んでいると、外来語のカタカナ表記が、現代と異なる場合が、多くあります。
すなわち「ステツプ」とか「サイダア」とか・・・。それはそれで、時代の雰囲気を伝えてくれていて、なかなか味わいのあるものです。
特に私が気に入っているのは「ボーイ」を「ボイ」と表記すること。「ボイ」自体が、今ではホテルへでも行かなければお目にかかることはありませんが、何か文章そのものに独特の雰囲気と風格が生まれるような気がします。

この「ビルヂィング」という表記も、時代がかかった風格のようなものを感じてしまうのですが、いかがでしょうか?

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エスカレーターは右空け?

最近、名古屋市営地下鉄では、エスカレーターの歩き登りを禁止したということで、ちょっとした話題になっています。
すなわち、エスカレーターの右側を、歩いて登ったり降りたりする人のために空けておくという習慣は危険なので、やめてもらおうと言う話です。

ところで、このエスカレーターの片方を開けるという習慣、どちらを空けるかは、地域によって違いがあります。早い話、東京の右空けと、大阪の左空け。私が、この習慣に初めて出会ったのは、大阪の阪急梅田駅のことでした。こちらは左空けで、わざわざ左側を空けるように、テープで案内が流れていた記憶があります。「さすが、大阪。」と感心しました。
この梅田駅は、エスカレーターとは別に、駅構内に動く歩道があって、そもそもそちらのルールが、エスカレーターにも適用されているといった印象でした。
新聞の特集によると、この左空けの習慣は、ロンドンの地下鉄に倣ったものだとのことだそうです。

しばらくして東京では、右空けの習慣が始まりました。こちらの右空けの根拠は、不明です。
それが、名古屋の地下鉄にも長いエスカレーターが現れたと同時に、右空けの習慣が始まりました。こちらもまったく、自然発生的でした。

それでは、関西なら一様に左空けかというと、さにあらず。京都で、不思議な体験をしました。
路線別(というか、会社・交通局別)に右空けと左空けが分かれていて、市営地下鉄は右空け、阪急京都線は左空けでした。 (((^_^;)
これはいったい、何なんでしょうねぇ。私鉄の牙城の関西に、新幹線経由で東京の習慣が入り込み始めているということでしょうか?

阪急と市営地下鉄が交差する、「烏丸(地下鉄は四条)」駅が、どんな状態になっているのか、実情を知りたいものです。

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”旅”の原型

 最近、小学生に対する調査で、かなりの割合の小学生が”天動説”的な宇宙観を持っていて、関係者がショックを受けているという記事が載っていました。たしかに、教育現場から見れば、ショックでしょうねぇ。子供が持っている宇宙観が、コペルニクス以前に戻ってしまうとは。ただ見方を変えてみれば、別に不思議なことではありませんが。

 私自身、かなり成長するまで(小学校2,3年くらいまで)、“天動説”的な宇宙観を持っていました。確かに“地球のほうが太陽の周りを回っている”ということは、知識としては知っていましたが、実際には空のほうが動いているように見えましたから。だいたい”地球は丸い”ということ自体が、にわかに信じがたく、「下のほうにいる人間は、みんな宇宙にこぼれ落ちてしまうのでは?」と思っていました。この”事実”は、磁石にクリップが逆さにくっついている様子を見て、”無理やり”納得しました。

 次の疑問は、“地球は1日に1回自転している。”というもので、「それなら、1日に1回、東西南北が逆になるのでは?」と思っていました。それも地球儀を見て、”方位は常に一定(すなわち、地球儀の”上”がいつも北で、”下”がいつも南)“ということも、”半ば無理やり“納得しました。

 そこで私流の天動説ですが、これには理由があります。私が生まれたのは長野県の諏訪盆地で、この狭い盆地が当時の私にとって、世界のすべてでした。すなわち、視界の全ては高い山で遮られていて、その山々は世界の最果てと想像するのに十分な高さがありました。すなわちお盆状の世界の上に、半球形の空が乗っているという、まるで古代エジプト人のような宇宙観が、当時の私の宇宙観でした。太陽も月も、全ての天体は世界の果から上り、また反対側の果てに沈んでいく。見えるものの全てが世界の全てで、諏訪大社の近くの高台から諏訪湖を見下ろしながら、見えるままの世界観を思い描いていました。今でも、塩嶺峠に夕日が沈む様子を思い出すことが出来ます。

 「世界の果」とは、かなり魅力的です。「きっと、八ヶ岳のどこかに太陽が昇る穴があって、北アルプスのどこかに太陽が沈む穴があるに違いない。」と、思っていました。そして山のシーズンになると大挙して中央線に乗ってくる登山客を見て、「この人たちは、きっと太陽が沈む穴を見に行くのに違いない。」と一人で納得していました。

 この「世界の果の向こうを見に行く」ということが、徐々に私の中の関心事になってきました。徐々にその世界の向こうに、別の世界があるということを理解し始めてきたからだと思います。隣の中学生のお姉さんから、お下がりの地図帳(中学生用だから、漢字にルビも振っていない)をもらってきては、穴の開くほど眺めていました。
そうしたら、本当に穴が開いてしまいました。(地図に突っ伏して寝ていて、よだれをたらした・・・)東京や名古屋へも連れて行ってもらいましたが、まるで別の惑星に来てしまったような感覚でした。実際当時の汽車は遅くて、別の惑星へ行くと思われるくらいの時間がかかりましたが。

 それからは、地図の上の鉄道の記号を指でなぞって、”遠くへ行く”疑似体験をしていました。自分で「ガタンガタン」と汽車の音を口の中で真似をして、トンネルや鉄橋の記号の上では、汽車の音も変えて。駅へつくと、駅員のように駅名を連呼して。

 次に思い始めたことは、「この道をまっすぐ歩いていったら、どこへ行くのだろう?」ということでした。そこではじめたのは、一人で何処へでも歩いていくこと。不思議を迷子になった経験は、あまりありません。それまでの地図上の疑似体験のおかげで、小さな町の地理は、頭に叩き込まれていたのかもしれません。小学校の集団下校のとき、先生に逆らって”自分が知っている道”を通って帰宅したこともあります。そのかわり、ものすごい遠回りではありました。

 この散歩好きの性格は、そのころから養われていたのかもしれません。今でもふと、「この道を何処までも歩いていってみたい。」と思うことがあります。

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